「こういう」を「こうゆう」っていうやつとは縁を切れ
editor : comtaこんにちは、こむたです。
毎日イライラすることはたくさんある。
その中で最もイラつくのが
友人とLINEしてて一番ムカつくのが「そういう」を「そうゆう」って打つやつ。
かつて好きになった人や友人とLINEした時、「そうゆう」「どうゆう」「こうゆう」を多用されて冷めたことが何度もある。
「いう」は文語、「ゆう」は口語、そんなの常識だし義務教育で身についた力だと思ってたけど
TiktokやYoutubeのコメント欄にも溢れていて、「ゆう」を使うやつが世の中にたくさんいることに驚く。くらくらする。
こんなに違和感のある文字はないというのに、使っている本人らは何も思わないのだろうか。
この表現がここまで私をイライラさせるのはなぜなのか?
めちゃくちゃイライラするけどその人たちが嫌いなわけではない。
論文やレポートなどの経験があまりなければルールを知らないのだから仕方ないことだ。
だが俺はLINEやTiktokというカジュアルな場面でもその行為が許せない。
なぜ苦手なのかはLINEのトーク検索で一瞬で分かった。
試しにLINEのトーク検索で「ゆう」で検索したところ、結果は顕著に現れる。
「ゆう」で引っかかった人たちは教養があまりない。
「いう」で引っかかった人たちは頭の回転が速く論理的だったり、人として面白かったり、高学歴だったり、できている人が多い。(ほとんどの人がこっち側で安心した。)
俺は教養がない人が苦手で、教養がない人が「ゆう」を使うことからこの言葉自体も嫌いになってしまっている。
教養といってもハイレベルなものを要求しているわけではなく、生きていればわかるくらいの一般教養だ。
大学に教養学部というものが存在するほど教養は大切だ。
簡単に言えば豊かな人生のことだ。
俺の教養ない人嫌いは、向上心のなさや自分で考える力のなさから始まり、彼らに共通する”こうゆう”にイライラしてしまうという結果に至ったのだ。
ちなみに俺はTiktokで口語を使ってる女がいたら注意している。
「こうゆう彼氏いないかな?」みたいな理想を語る女がいれば、
「「こうゆう」を「こういう」に言い換えるだけで出会える人間のランクが五つは上になるよ」って。
素敵な人間に出会えば素敵になれる。
この活動を通じて多くの人が教養を身に着けるきっかけになってほしい。