2022/09/11コラム

じぶんの価値基準で判断できない人

editor : komosyu
じぶんの価値基準で判断できない人

最近、twiceが好きなんですけれども。という話をすると、今はもうオワコンだよ。という人がいる。

その人がオワコンなのにまだみてるの?というスタンスか、ただ流行を教えてくれただけかは知らないが、世の中の多くの人はオワコンにまだ関心がある人を嘲笑する風潮がある気がしている。

別にそれを批判はしないけど、さびしい人間だなと思う。

時代に追いついていたい気持ちがあるだけなんだと思うけど、好き嫌いや関心の基準も流行に流されていると、本当にじぶんの好きなものを判断する能力を失ってしまう。

世間から評価されたい。わかっている人としてみられたい。という気持ちを持ったことはないのでなんとも言えないのだが、そうして流行を追っている人に、なんでこれが好きなの?と聞いてみると流行っているからだよ。と返されることがよくある。

流行っているから好き。それもいいかもしれないけど、好きなものってそんなものに左右されるものだっけ?と疑問に思う。

そういった人は、好きだったけどもうオワコンになっちゃたしもういいやって手放すけど、ほんとうはそこからがおもしろいのにね。と思う。世間からはオワコンと言われている中で、そのコンテンツはどの方向に舵を切っていくのか?どんな施策をとっていくのかは非常に興味深いし魅力的だ。

まだそんなの食べてるの?どこのブランドの服着てるの?そんなの持ってる人いないよ?まだそんなの見てるの?こういうことを聞く人は、すでに有名な誰かや企業、広告で紹介されていて社会的に信用のあるものしか評価できない。

なぜなら、じぶんの中に判断する能力がなくて、社会の評価とじぶんの感性が合致していないと不安でしょうがないから。

かっこいいからこれが好き。美味しいからこれが好き。楽しいからこれが好き。これが本来の人間だと思うんだけどこれを世にさらすと、へーこんなの好きなんだー。と流行人間に嘲笑されることに耐えかねて、そこで新たに嘲笑人間が誕生してしまうんだよね。

じぶんの判断軸でものごとを評価したり好きでいることは、流行人間に嘲笑されることがあるかもしれない。

でも、その人たちはじぶんの意見を持つことができなかった敗者だから、今を生きているわたしたち人間は気にしなくていい。

好きなものに理由がない薄くて寂しいかわいそうな人なだけだ。