2022/08/24コラム

「自意識過剰」をやめればすべての悩みはなくなると思う。

editor : comta
「自意識過剰」をやめればすべての悩みはなくなると思う。

みんなは「悩み」についてどう向き合ってる?

私は悩みがないのでよく他人から悩みがなくて羨ましいとか言われるしリアルに「悩みがないことが悩み」状態なんですが、

悩みへの向き合い方次第で悩みは無くなるのでぜひ共有したい。

人々が抱える悩みに対するアプローチとして、

アドラー心理学で有名な「すべての悩みは対人関係である。」という考え方は知っているだろうか。

アドラー心理学ではあらゆる悩みの原因は他人であるとされている。

例えば今の仕事の給与面に悩んでいる人であれば、なぜ悩んでいるのか?を考えた時、最終的には他人から見た自分に悩んでいることがわかる。

「お金がない自分 ⇒ みすぼらしい ⇒ "他人"からかわいそうに思われる」

「生活に余裕がない ⇒ 健康でいられない ⇒ 死んでしまったら"他人"が悲しむ」

「待遇が見合っていない ⇒ なぜ転職しないのか? ⇒ "会社の人"に迷惑がかかる」

他人から認められたい自分(承認欲求)の存在が自分を苦しめ悩みとなっているというのがアドラー心理学を用いたカウンセリングの悩みへの向き合い方だ。

「顔がブスだから」「家庭の問題」なんてものはわかりやすく他人がいることでの悩みだ。

皆さんが抱える悩みをたどっていけば他人に対しての自分が起因となっていることがわかるだろう。

また、仏教には「無我」という言葉がある。

「無我夢中」や「無我の境地」といったように我を忘れているような状態の時によく使われる言葉だ。

仏教でいう無我とは、肉体があって心があって”私”が存在しているのではなく、周りの人、もの、環境、ありとあらゆるものから影響を受けて、”私”が成り立っている、すなわち様々な縁によって自分があるという意味だ。私だけでなくこの世に存在する全てのものが縁である。

縁によって自分は存在しているということは、消滅もしうる。

だから何かに対して執着する必要はない。というのが仏教の考え方の一つ。(詳しく説明すると難しいし長くなるから無我の話は終わり)

以上の話を踏まえると、「自意識過剰」こそが全ての人間の悩みの原因なのではないかと思える。

アドラー心理学では悩みの原因を、仏教では全てのものが縁であり何かに執着する意味のなさを教えてくれる。

自意識が強いからこそ他人からの評価を気にしてしまう訳だし、そういった執着があるから人間は苦しいのだ。

悩みがある人は悩みを書き出し対人関係であることを突き詰めよう。

そして他人から評価されたい、認められたいという思いは今すぐに捨てるべきある。

それができれば途端に悩みはなくなるはず。他人からどう思われても自分勝手に生きればいい。

自意識過剰で評価されたい、認められたいという承認欲求が悪いのではなく、他人に対する自分の存在が自分を苦しめているならば捨てるべきだ、ということだ。

自意識過剰なことで向上へとつながっているならそれは素晴らしいこと。

こんな感じで私には悩みがありませんというお話でした。

昔はいろんな悩み抱えてた気がするけどどれも思い出せなしそれくらくらいちっぽけなもんだったんじゃないかな。

ぜひ実践してみてね。